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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)4052号 判決

原告(反訴被告)

東洋不動産株式会社

右代表者

田口達郎

右訴訟代理人

勝山内匠

東朝彦

被告(反訴原告)

那波崇子

右訴訟代理人

山崎薫

主文

被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、金二五〇万円及びこれに対する昭和五一年八月二七日から右支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

原告(反訴被告)のその余の本訴請求を棄却する。

被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。

訴訟費用中、本訴について生じた分はこれを八分し、その三を原告(反訴被告)の負担とし、その余を被告(反訴原告)の負担とし、反訴について生じた費用は、被告(反訴原告)の負担とする。

この判決は、金員の支払を命じた部分に限り、原告(反訴被告)において金五〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告が、不動産の所有、売買、貸借、管理及び利用、並びに、不動産の仲介及び鑑定その他不動産に関する諸事業を営む株式会社であり、宅地建物の販売、仲介を営む宅地建物取引業者であることは当事者間に争いがない。

二次に、原告の仲介によつて、被告が本件土地のうち864.05平方メートルを訴外佐藤欣也に売却したか否かについて判断する。

被告が原告に対し、本件土地の売買の仲介を依頼したこと、被告と訴外佐藤欣也との間に、昭和四九年一一月五日、被告が別紙目録記載の本件土地のうち864.05平方メートルを代金一億六八八一万一〇〇〇円で訴外佐藤欣也に売渡す旨の売買契約が成立し、被告がその後右売買代金を受領し、右売却土地を訴外佐藤欣也に引渡したことは当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実に、〈証拠〉を綜合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(1)  本件土地は、もと徳島藩の儒者であつた被告の夫那波利貞(京都大学名誉教授)の先祖の所有地であつて、代々その子孫に引継がれ、昭和四五年頃は、被告の夫の所有であつたが、被告の夫が昭和四五年死亡したので、被告が相続によりその所有権を取得したこと、

(2)  本件土地上にあつた建物は、昭和二〇年頃、戦災で焼け、その跡は、空地のままにされていたところ、その後その一部の土地が、本件土地の北側に隣接する佐藤病院(経営者は訴外佐藤欣也)に賃貸され、同病院がこれを駐車場として使用していたこと、

(3)  ところで、被告の夫の死亡後、被告と訴外佐藤欣也との間において、本件土地に関する売買の交渉がなされるようになつたところ、被告は、右売買に関し、かねてから、被告の取引銀行である訴外株式会社三和銀行聖護院支店の支店長代理香野雅彦に相談をしていたが、昭和四九年春頃になり、右売買についての相談が頻繁になり、銀行業務にも差支えるような状況になつたので、右香野は、昭和四九年五月下旬頃、不動産売買の仲介等の専門業者である原告を被告に紹介し、原告に本件土地の売買の仲介を依頼するよう勧めたこと、

その結果、その頃、被告は、本件土地の売買の仲介を原告に依頼し、これに応じた原告の社員の川野進らがその後本件土地の売買の仲介業務を担当するようになつたこと、

(4)  被告は、前記三和銀行の香野雅彦に本件土地の売買に関する相談をしていた当時、本件土地を、安くとも、3.3平方メートル当り金八〇万円で売却したいとの希望をもつており、昭和四九年一・二月頃、京都に在住する被告を訪れた前記佐藤病院の美馬正昭事務長に会つた際にも、同事務長に対し、3.3平方メートル当り、金一〇〇万円で本件土地を買つて欲しいと申出たが、右美馬事務長は、「高い。」といつてこれに応ずる気配はなかつたこと、

(5)  その後、被告は、昭和四九年六月頃、前記三和銀行の香野や原告の社員の川野らに対し、本件土地を3.3平方メートル当り最低金七五万円で売却したいとの意向をもらし、ついで、安くとも金七〇万円程度で売却したいとの希望を述べ、さらに、右川野に対し、徳島に行つて、佐藤病院と、本件土地を右価格で売却する旨の交渉をして欲しい旨の申入れしたこと、

そこで、原告の社員の前記川野と訴外石田某及び被告の三名が、昭和四九年七月上旬頃、徳島市に赴き、佐藤病院の美馬事務長に会つて、本件土地を3.3平方メートルトル当り金七八万円で買受けて欲しい旨の申入れをしたが、美馬事務長は、3.3平方メートル当り金七八万円では高過ぎて、銀行から融資を受けられる見込みがないとして、右申入れを拒絶したこと、

(6)  次に、右川野は、その翌日頃、被告からさらに佐藤病院と交渉して欲しい旨の依頼を受けたので、右美馬事務長に対し、電話で3.3平方メートル当り、金七五万円で本件土地を買つて欲しいと申入れたが、これも拒絶されたこと、

なお、佐藤病院では、当時国府町の方に約六〇〇〇坪(一万九八三平方メートル)の土地を購入していて、本件土地を是非必要としてはいなかつたので、本件土地については、3.3平方メートル当り金五五万円以上の価格では、これを買受ける意思がなかつたし、また、被告の要求する本件土地の代金額では、銀行から融資を受けられる見込みもなかつたところなどから、当時本件土地を買受けることを断念したこともあり、そのために、被告と佐藤病院との本件土地の売買に関する交渉は、一時中断したこと、

(7)  ところが、その後昭和四九年九月頃、被告から原告の社員の川野に対し、本件土地を総額金一億六〇〇〇万円で売却してもよいから、右売買について再び佐藤病院と交渉して欲しい旨の依頼があつたので、右川野は、右被告の申出価格が従前の価格にくらべ安過ぎたところから、前記香野雅彦を通じてさらに被告の真意を確かめた上、佐藤病院の美馬事務長に対し再び本件土地の売買交渉を申入れたこと、

(8)  なお、本件土地は、数代続いた那波家の屋敷跡であつたところから、被告は、本件土地を売却するに当り、本件土地の一部に那波家の記念碑を建てたいと考え、本件土地のうち約五坪(16.52平方メートル)の正方形の土地部分を、右記念碑を建てる敷地として残こしたいと考え、かねてから、その旨を佐藤病院側に強く申入れていたこと、

(9)  次に、前述の川野の申入れに基づき、佐藤病院の美馬事務長が、昭和四九年一〇月一二日に大阪にある原告の事務所を訪れ、右川野に対し、「佐藤病院としては、本件土地を総額一億七〇〇〇万円で買受けたい。」「記念碑の敷地は残こさないで欲しいが、どうしても残こすならば、本件土地の南側に帯状の細長い土地を残こして欲しい。」「そしてその土地部分に相当する代金額を本件土地の売買代金からさし引くようにして欲しい。」旨の申出がなされ、右条件で本件土地を買受けたい旨の申出がなされたこと、

(10)  そこで、右川野は、昭和四九年一〇月一四日頃、前述の香野を交えて被告に会い、被告に右佐藤病院側からの申出の条件を伝えたところ、被告は、川野に対し、本件土地の売買代金は総額一億七一〇〇万円とし、記念碑の敷地は残こす、手附金は金二〇〇〇万円とし、残金は昭和五〇年二月と三月に決済すること等の条件で、交渉して欲しい旨の依頼をしたこと、

(11)  その後、右川野は、佐藤病院の美馬事務長と種々交渉した結果、佐藤病院側は、最終の代金決済日を昭和五〇年四月末日とする外は、被告の申出にかかる前記条件を了承したので、右川野は、同年一〇月三一日、前記香野を交えて被告と会い、被告に対し、本件土地の全体の価格を合計金一億七一〇〇万円(3.3平方メートル当り金六四万五八七〇円)とし、本件土地のうち南側の三〇センチメートル巾の細長い土地部分を記念碑を建てるための敷地として残こし、その余の土地を、代金一億六九六九万円(金一億七一〇〇万円から右記念碑の敷地部分の代金額をさし引いた額)で売却する、手附金は金二〇〇〇万円とし、中間金として昭和四九年一二月二五日に金三〇〇〇万円を支払い、残金は昭和五〇年四月末日に支払う、換地清算金及び石垣等は被告が取得することとする、等の条件を説明し、右条件で本件土地のうち記念碑の敷地部分を除くその余の土地を佐藤病院こと佐藤欣也に売却することについて了解を求めたところ、被告は右条件で売却することについてすべて了承したこと、

(12)  ところが、被告は、その後昭和四九年一一月一、二日頃、右川野に対し、記念碑の敷地として三〇センチメートルの幅の土地ではなく五〇センチメートルの幅の土地を残こして欲しい旨の申出をしたので、川野は、直ちに、佐藤病院の美馬事務長に電話連絡をして、その了承を得たこと、

(13)  そして、右川野は、売主を被告、買主を訴外佐藤欣也とし、本件土地から右記念碑の敷地として、本件土地の南側の五〇センチメートル巾の細長い土地11.24平方メートル(約3.4坪)を除いたその余の864.05平方メートルの土地を、代金一億六八八一万一〇〇〇円(3.3平方メートル当り金六四万五八七〇円)で売却し、手附金二〇〇〇万円は右同日支払い、残金については、昭和四九年一二月二五日までに金三〇〇〇万円を、昭和五〇年三月二八日までに金七〇〇〇万円を、同年四月末日までに残金四八八一万一〇〇〇〇円を、それぞれ支払うこと等の売買契約の内容を記載した不動産売買契約書の原稿(甲第一号証、同第五号証)を作成した上、これを持参して、昭和四九年一一月五日、前記香野雅彦、石田某及び被告と共に、徳島市内の本件土地に赴き、記念碑の敷地として残こす五〇センチメートル巾の土地部分を確認した後、佐藤病院に赴いたこと、そして、右佐藤病院において、被告と訴外佐藤欣也とが、それぞれ川野が用意して持参してきた前記不動産売買契約書にそれぞれ署名捺印をして、右土地を代金一億六八八一万一〇〇〇円で売買する旨の本件売買契約を締結したこと、

(14)  なお、被告は、右契約書に署名捺印をするに先立ち、右契約書に右土地の売買代金が金一億六八八一万一〇〇〇円となつていて、さきに川野から説明を受けた金額と異なつていたことからひどく立腹し、右契約書に署名捺印をすることを拒否したが、右川野から、本件土地全体の代金を金一億七一〇〇万円とし、これから記念碑の敷地として残こした五〇センチメートル巾の細長い土地11.24平方メートル(3.4坪)の代金相当額を差引くと、その代金は金一億六八八一万一〇〇〇円になる旨の説明を受けて、最終的に納得し、右契約書に署名捺印をしたこと、

(15)  そして、その後、右土地の売買代金は、すべてとどこおりなく支払われ、被告は、訴外佐藤欣也に右売却土地を引渡したこと、

以上の事実が認められ、〈る。〉

してみれば、被告は、本件土地の売買の仲介を原告に依頼し、原告が右被告の依頼に基づいて、本件土地の売買を仲介をした結果、被告は訴外佐藤欣也に対し、本件土地のうち864.05平方メートルを代金一億六八八一万一〇〇〇円で売却したものというべきであるから、被告は、原告に対し、右売買の仲介手数料を支払うべき義務があるものというべきである。

三もつとも、被告は、原告は右売買の仲介をするに当り、善良な管理者としての注意義務を怠り、被告をして、本件土地を3.3平方メートル当り金七五万円以上に売却できるよう仲介すべきであつたのに、前述の通り、本件土地の大部分を3.3平方メートル当り金六四万五八七〇円という低い価格で売却させ、また、右売買に当り、現実に記念碑を建てることが不可能であり、また、これを他の用途に利用することも不可能な五〇センチメートル巾の細長い土地を残こし、その余の土地を売却させる仲介をした点において、善良な管理者としての注意義務を怠つた債務不履行があるから、被告には、前記売買の仲介手数料の支払義務はないと主張している。

しかしながら、不動産売買の仲介契約は、不動産売買の仲介(媒介)を目的とする契約であるから、特約のない限り、仲介業者が如何に努力しても、売買契約の成立しない間は、報酬請求権は発生しないが、一方、仲介業者の仲介により、現実に不動産の売買契約が成立した以上、仲介契約の目的は達成したものというべきであつて、これにより、報酬請求権が発生し、その後売買契約の不履行があり、契約が解除されても、右報酬調求権に影響はないと解すべきである(この点では請負の場合と同様に解せられる)。ところで、本件においては、さきに認定した通り、原告の仲介により、本件土地の大部分について売買契約が成立し、かつ、その履行も完了したのであるから、仲介契約の目的は達成し、これにより、原告の被告に対する仲介の報酬請求権も発生したものと解すべきであつて、仮に原告が右仲介業務を行なう過程において、被告主張の如き善良な管理者としての注意義務を怠つたとしても、これにより原告が損害賠償義務を負うことのあることは格別、右報酬(仲介手数料)請求権の発生が妨げられるものではないと解すべきである。

したがつて、原告が善良な管理者としての注意義務を怠つたことを理由に、原告の被告に対する仲介手数料請求権が発生しないとの主張は失当である。

四そこで次に、本件売買の仲介をした原告の仲介手数料(報酬)類について判断するに、本件売買の代金額は、前述の通り、金一億六八八一万一〇〇〇円であるところ、〈証拠〉によれば、本件の場合、大阪府の条例で定められている正規の仲介手数料は、金五一二万円であるが、原告は、訴外株式会社三和銀行の系列会社であつて、かつ、本件売買の仲介は、右三和銀行の紹介によるものであつたこと等から、当初原告方では、被告に対し右仲介手数料として金四五〇万円を請求することにしていたこと、ところが、被告が右仲介手数料を金四〇〇万円にして欲しいと申出たので、結局原告は、これに応じ、右手数料を金四〇〇万円として、これを被告に請求することにしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。してみれば、本件売買の仲介手数料については、原告と被告との間で金四〇〇万円とする合意が成立したものというべきであり、仮に右合意がなかつたとしても、本件売買代金の代金額、前述の如き原告が本件売買の成立するまでに払つた努力、その他諸般の事情を綜合して考えると、本件売買の仲介手数料は、少なくとも右金四〇〇万円を下るものではないと認めるのが相当である。

よつて、本件売買の仲介により、被告は、原告に対し、右仲介手数料金四〇〇万円を支払うべき義務を負担したものというべきである。

五そこで次に、被告主張の相殺の抗弁について判断する。

1  まず、被告は、本件土地の時価は金七五万円を下らなかつたから、原告は、被告をして、本件土地を3.3平方メートル当り金七五万円以上に売却できるよう仲介すべきであつたのに、本件土地の大部分を、3.3平方メートル当り金六四万五八七〇円という安い価格で売却させる仲介をしたとして、右の点において原告は善良な管理者としての注意義務を怠つたと主張しているところ、〈証拠〉によれば、不動産鑑定士中川太郎の鑑定評価では、本件土地の当時の時価額は、一平方メートル当り金二五万円、3.3平方メートル当り金八二万五〇〇〇円と評価されていることが認められ、また、〈証拠〉中には、本件土地の当時の時価額は、いずれも金七〇万円ないし金七五万円以上であつたことを窺わせる趣旨の証言及び供述がある。

しかしながら他方、その方式及び内容その他の〈証拠〉によれば、不動産鑑定士阿部啓治は、本件土地の時価額を一平メートル当り金一九万四〇〇〇円、3.3平方メートル当り金六四万〇二〇〇円と鑑定評価していることが認められるし、また、そもそも、現実の不動産取引による売買価額は、売主と買主との取引交渉によつて定められるのであつて、必ずしも客観的な時価額によつて取引されるものではないから、仲介業者が、不動産売買の仲介をするに当り、容易に客観的な時価額ないしそれ以上の価額で売買取引の仲介ができたのにこれを怠り、売主を不当に説得して、右低額な価額で売買取引の仲介をしたというような特段の事情のある場合は別として、一般的に、仲介業者の仲介による不動産の現実の取引価額が客観的な時価額よりも低かつたからといつて、そのことのみから直ちに仲介業者が善良な管理者としての注意義務を怠つたものということはできないところ、本件において、原告が、本件土地の売買の仲介をするに当り、極めて容易に、3.3平方メートル当り金七五万円以上で売買契約を成立させ得たのに、これを怠り、被告を不当に説得して、3.3平方メートル当り金六四万五八七〇円で売却する旨の売買契約を成立させたとの事実を窺わせる〈証拠〉はたやすく信用できず、他に右事実を認め得る的確な証拠はない。却つて、〈証拠〉によれば、さきに認定した通り、本件土地の売買については、当初、被告は、3.3平方メートル当り金八〇万円程度で売却したい意向を示したが、買主の佐藤欣也がこれに応じなかつたので、その後被告において次第にその売買の希望価額を引き下げ、最後には、本件土地全体を金一億六〇〇〇万円(3.3平方メートル当り金六〇万三四〇八円)で売却してもよいとの意向を示したので、原告の社員川野進がさらに買主の佐藤病院の美馬事務長と交渉した結果、被告と訴外佐藤欣也との間に、本件土地全体の売買価額を金一億七一〇〇万円、3.3平方メートル当り金六四万五八七〇円として、本件土地のうち864.05平方メートルについての売買契約が成立したのであり、右売買価格については、被告もこれを納得して了承していたこと、以上の事実が認められる。

してみれば、原告の社員川野進が本件土地の売買の仲介をし、そのうち864.05平方メートルにつき、3.3平方メートル当り金六四万五八七〇円の代金で売買契約を成立させたことについては、何ら善良な管理者としての注意義務を怠つたものではないというべきであるから、右売買代金が安過ぎることを理由に、原告に損害賠償義務があるとの被告の主張は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

2  次に、被告は、本件売買の仲介に当り、原告は被告に本件土地のうちその南側に五〇センチメートル巾の細長い土地を残こして、本件土地のうち864.05平方メートルを売却させたとし、右の点において原告は、善良な管理者としての注意義務を怠つたものであると主張しているところ、〈証拠〉によれば、被告は、本件土地を売却するに当り、当初本件土地上に那波家の記念碑を建てるため、本件土地のうち約16.52平方メートル(約五坪)のほぼ正方形の土地を残こしたいとの希望を有していたが、買主の佐藤欣也側がこれに反対し、記念碑を建てるための敷地を残こすならば、本件土地のうち南側の細長い土地部分を残こすよう強く主張したので、原告の社員川野進が種々交渉した結果、前述の通り、本件土地のうち南側部分に、五〇センチメートル巾の細長い土地を残こして、本件土地のうち右細長い土地を除くその余の864.05平方メートルの売買がなされたことが認められ〈る。〉

ところで、〈証拠〉によれば、右記念碑の敷地として残こされた五〇センチメートル巾の細長い土地の南側は、隣家の建物に接していること、そして、右五〇センチメートル巾の、土地上に記念碑を建てることは現実に不可能であり、また、右土地部分を、独立の建物の敷地や通路その他の用途に使用することもほとんど不可能であつて、右土地部分には独立の使用価値はなく、被告が前記売却した864.05平方メートルの土地と一体として利用してのみその使用価値があること、したがつて、被告は、作件土地のうち、右細長い土地を残こしてその余の士地を売却したために後記損害を被つたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そうだとすれば、被告が本件土地のうち五〇センチメートル巾の細長い土地を残こしてその余の土地を売却したことは、極めて拙劣かつ不適当な売買をしたものであつて、右の如き細長い土地部分を残こすよりも、むしろこれを一括して本件土地全部を売却するか、或いは、本件土地の一部を記念碑を建えるための敷地を残こすならば、もつと巾広い土地を残こすのが適切な措置であつたというべきである。ところで、〈証拠〉によれば、原告は、不動産売買の専門業者であり、訴外川野はその社員であること、一方被告は、京都大学名誉教授の未亡人であつて、不動産取引については全くの素人であつたことが認められるから、本件土地の売買の仲介業務にたずさわつた原告の社員川野進としては、その仲介に当り、被告が、右の如き拙劣かつ不適当な土地の売買をしないよう適切な助言をして右売買の仲介をすべき善良な管理者としての注意義務があつたものというべきところ、右川野が右注意義務を尽したことを認め得る証拠はなく、却つて被告本人尋問の結果によれば、被告は、本件土地のうちその南側の細長い土地部分を残こしてその余の土地を売却することについては、その承諾をしていなかつたのであるが、右川野の説得により、最終的に右承諾をするに至つたことが認められ、右認定に反する証人香野正彦、同川野進の各証言はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はないから、川野進は、右の点において、善良な管理者の注意義務を怠つたものというべきである。

もつとも、〈証拠〉中には、右五〇センチメートル巾の細長い土地を残こすことについては、被告自ずからこれを提案したものであり、その後右川野らの忠告にも拘らず、被告は、右細長い土地を残こしてその余の土地を売買することを承諾した結果、本件売買が成立したとの証言がある。しかしながら、前述の如き使用価値のほとんどない細長い土地を残こしてその余の土地を売却するというようなことを、素人の売主である被告が自から提案するというようなことは、一般の経験則上特段の事情のない限りあり得ないことであつて、このことと被告本人尋問の結果に照らして考えると、前記香野雅彦、同川野進の各証言は、いずれもたやすく信用できないものというべきである。

してみれば、原告の社員川野進は、本件土地の売買の仲介をするに当り、本件土地のうち五〇センチメートル巾の細長い土地を残こしてその余の土地につき、売買を成立させる仲介をした点について、善良な管理者としての注意義務を怠つたものというべきであり、また、右川野は原告の履行補助者であるから、原告は、これによつて被告の被つた損害を賠償すべき義務があるというべきである。

そこで次に、被告が本件土地のうち右五〇センチメートル巾の細長い土地を残こし、その余の土地を売却したことによつて被つた損害額について判断するに、〈証拠〉によれば、右五〇センチメートル巾の細長い土地の面積は、11.24平方メートル(約3.4坪)であつたことが認められ、また、本件土地の売買価額は、前記認定の通り、3.3平方メートル当り金六四万五八七〇円であつたから、右五〇センチメートル巾の細長い土地を正常に使用し得た場合のその時価額は金二一九万五九五八円であるというべきところ、右五〇センチメートル巾の細長い土地は、前述の通り、ほとんど使用価値がないから、被告は、本件土地のうち右細長い土地を残こしてその余の土地を売却したことにより、ほぼ右金二一八万九〇〇〇円余に比敵する損害を被つたものというべく、また、右細長い土地上には、被告のかねてからの念願であつた記念碑も建てられないことは、前記認定のとおりであるから、これにより、被告は、精神的苦痛も被つたものというべきである。しかし、他方、被告においても、最終的には、本件土地のうち右細長い土地を残こしてその余の土地を売却することを承諾して、右売却をした点において、過失があるものというべきである。そして、右認定の諸事実や右被告の過失を斟酌して考えると、原告は、被告に対し、原告の社員川野進が前記善良な管理者としての注意義務を怠つたことにより被告の被つた前記損害のうち、金一五〇万円を賠償すべき義務があると認めるのが相当であつて、右以上の損害賠償請求権があつたとの原告の主張は失当である。

3  そうだとすれば、原告は、被告に対し、右原告の社員川野進が前記善良な管理者としての注意義務を怠つたことによる損害賠償として金一五〇万円を支払うべき義務があるところ、被告が、昭和五四年一〇月二日の本件第一七回口頭弁論期日において、原告訴訟代理人を介して原告に対し、原告の被告に対する前記仲介手数料債権金四〇〇万円と、被告の原告に対する右損害賠償債権金一五〇万円とを対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは本件記録上明らかであるから、原告の被告に対する右仲介手数料債権は、右金一五〇万円の限度で消滅したものというべきであるが、右以上に相殺による消滅したとの被告の主張は失当である。

六そうだとすると、被告は、原告に対し、本件仲介手数料金四〇〇万円のうち、右相殺により消滅した後の残額金二五〇万円を支払うべき義務があるものというべきである。

七次に、被告の反訴請求についてみるに、被告が原告に対し、原告の社員川野進が善良な管理者としての注意義務を怠つたことにより、金一五〇万円の損害賠償債権を有していたが、それ以上の損害賠償債権を有しておらず、また、右金一五〇万円の損害賠償債権がその後相殺により消滅したことは、以上に認定した通りであるから、被告が原告に対し、原告の社員川野進が善良な管理者としての注意義務を怠つたことにより損害賠償として、金二七〇〇万円及びこれに対する本件反訴状送達の翌日である昭和五四年四月二八日以降右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める被告の反訴請求は失当である。

八よつて、原告の本訴請求は、被告に対し、本件仲介手数料の内金二五〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五一年八月二七日から右支払済に至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるから、右の限度で認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、被告の反訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法八九条九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文の通り判決する。

(後藤勇)

目録

徳島市南仲之町二丁目一〇番

宅地 1035.40平方メートル

同市同町二丁目一〇番二

宅地 294.21平方メートル

右二筆の仮換地東富田地区六七街廊ほ画地

875.29平方メートル

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